2019年10月10日

2019年秋冬に行きたい展覧会メモ

2019年秋から2020年年明け1月までに行けたら行きたい展覧会。
自分用のメモです。だんだん追加・修正していきます。

10/5〜11/4 描かれた仏の世界 堺市博物館
10/1〜11/18 開館記念福美コレクション展(I期) 福田美術館(II期 11/20〜1/13)
10/12〜11/24 大津南部の仏像 大津市歴史博物館
10/12〜11/24 『動物美術館』開演! 安土城考古博物館
10/12〜11/24 秦漢遺宝 黒川古文化研究所
11/2〜11/24 円山応挙から近代京都画壇へ(前期) 京都国立近代美術館(後期11/26〜12/15)
10/5〜12/1 三重の仏像 三重県総合博物館
8/27〜12/8 ウィーン・モダン 国立国際美術館
10/12〜12/8 仏像 大阪市立美術館
10/26〜12/8 呉春(後期) 逸翁美術館
10/5〜12/22 茶の湯禅と数寄 I期 承天閣美術館(II期 1/11〜3/29)
11/2〜12/22 絵画でランデヴー 久保惣記念美術館
11/2〜12/22 リニューアル記念名品展 神戸市立博物館

1/7〜3/15 インポッシブル・アーキテクチャー 国立国際美術館
1/15〜3/8 出雲と大和 東京国立博物館
1/9〜3/8 永遠のソール・ライター BUNKAMURA
1/21〜3/26 ハマスホイとデンマーク絵画
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2019年09月27日

「文化財よ、永遠に」展@泉屋博古館

国内外の文化財の修復事業を助成している住友財団が、2021年に30周年を迎えるということで、その記念の展覧会「文化財よ、永遠に」展がこの秋に泉屋博古館、東京国立博物館、泉屋博古館分館、九州国立博物館の4箇所で開催された。トーハクには主に仏像が出るそうなので上京するかどうか検討したものの都合がつかず諦めてしまったが、京都は問題なく行けるので平日休みに行くことにした。

泉屋博古館に行くときは阪急で京都市内に行った後丸太町でいつものラーメン屋で食べてからバスで向かったり、蹴上駅からのんびり南禅寺経由で散歩しつつ行ったりしているのだが、今回はランチに新しい店を開拓しようという気持ちがあったので、阪急西院駅で下車。
NOTTA CAFEで日替わり玄米プレート。

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メインは牛肉の炊いたんでちょっと濃い味。野菜がそれぞれいろんな味付けで豪華〜。スパイスが舌に残る。今度行く機会があったらカレーを試してみようと思いつつ、西院駅前から203系のバスで泉屋博古館最寄りの東天王町まで移動した。

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「文化財よ、永遠に」展。泉屋博古館会場では京都を中心に関西の修復された文化財が展示されている。
展示室に入り、まず正面にあるのは5世紀末の橿原市四条古墳出土の木製品。内濠から多量の埴輪と木製品が発掘されて、埴輪と共に鳥形、盾形、笠形、儀杖形、翳形などの木製品が古墳上に樹立してたんじゃないかと分かったという、他になかなか例のないほんとに貴重なもの。まじでこれは個人的に国宝でいい。古墳がわりと早い時期に埋め立てられたために良好な状態で残っていたという、木製品の水分を薬品で置き換えるという説明など興味深く読んだ。いきなり大興奮だった。

続いて右手には仏像がずらっと並んでいる。仏像の修復は部材をばらし内部まで明らかにする、これは調査が大きく進む機会でもあるということ。像内の納入品、一級資料がどんどん出てくるわけですからね…仏像と共に修復前の写真、修復の技法、調査の経緯、それから修復のために慎重な検討がなされていることがよく分かる展示。
大威徳明王像から出てきた勧進の様子についてよくわかる納入品、観音寺の男神像は天神さん?とか、霊源院の中巌円月坐像には中に鎌倉時代の毘沙門天像がそっくりそのまま納められていたとか…。仏像の中に小さなお像が納入されてるのは他でも見たことがあるけれど、お坊さんの中にこれほどの大きさの毘沙門天て珍しいよなあ。どういう考えでしたんだろう。

以前の修理で施された彩色、漆が取り除かれ、美しい木目が露出した像は素晴らしい。
仏像は今目の前にある姿が最初っからずっとそうだったように思えてしまうけれど、実はこれまでに何度かの修復作業を経てきているということ、どこかの時点で人の手が別に加わって今この状態であるという視点は忘れずに持っておこうと思った。

並んでいた仏像の中でも、京都大興寺の巳、午の十二神将像がとても素晴らしかった。臨場感がすごいしそれにとても自然に感じる。院派だそうだけど院派の印象ががらっと変わった。正和4年、院敒の作だそう。この名前覚えておこう。いつか御本尊も拝見しに行きたい。

あとは国宝の藤原定家の明月記。12年かけて修理されたそう。実は書簡などを継ぎ足して裏に日記が書かれていて、その今裏になって隠れている部分も資料的価値を高めているということを知った。
それから養源院の本堂の仏壇の下にある狩野山楽の唐獅子の絵は、養源院は行ったことがあるんだけど現地では暗めであまり良く見えなかったので、この機会にしっかり間近で眺めてきた。髪とかしっぽのぐるぐるの線からしていいな〜という感じ。
それから是外房絵巻という、中国の天狗が法力比べで負けてしまって日本の天狗にお風呂に入れてもらって慰められてる絵巻とか可愛いかよ…となったり、掛け軸なんかで紙を巻くとどうしてもついてしまう折れが、ほんとまっさらの状態に見えるくらい修復されている丁寧な処理に感心させられた。

展示替えがあり、絵の方は国宝の山水屏風や水月観音像は前期展示で見逃してしまっていたが、後期は後期で太山寺の刺繍種字両界曼荼羅、真輪院の鎌倉時代の星曼荼羅、西寿寺の六地蔵に羅刹女の来迎図とか珍しいものが見られたのでこれはこれでよかったかな。
あと大阪の絵師という葛蛇玉の鯉魚図。円山派みたいな鯉がちょっと変わった構図で面白かった。

考古学的な史料、仏像、絵画、書など様々な修復方法が見られ、またそれぞれ大変貴重なものが見られる展覧会で、得られる知識も多くやっぱり他の会場にも行けたら良かったな〜と思わされた。

ロビーには財団が助成した国外の遺跡のマップがあり、聞いたこともないような遺跡がたくさん。ビデオも水月観音像のものだけ見て、裏彩色という技法があり、それによってベールのような透明感が表されていることを知った。それで薬師寺の国宝の吉祥天を思い出したけれど、あの着衣の透明感もそうやって出されてるのかー、と。

かなり時間を食ってしまったので青銅の方はさらっとまわって出た。
バスで移動し、次は三条の京都文化博物館へ。

「百花繚乱ニッポン×ビジュツ」展もついでなので一応見たけれど、特別展が撮影可能で冒頭に若冲とかあったらもうそうなるよね、って感じの混雑で、あまり集中して見たい気持ちにはならずさらっと一通り。
まあでもQRコードを読みこむと詳しい説明が出てくるとか、VR体験があったりとか、そうやってスマホをかざしつつ自分のこだわりポイントで写真を撮りつつというのも新しい一つの楽しみ方かもしれんねーと楽しそうな人たちを見ながら思った。

ここでの本命は、常設の一室でやっていた「辰野金吾没後100年 文博界隈の近代建築と地域事業」。辰野金吾設計の旧日本銀行京都支店、つまり今の京都文化博物館の別館の特集展示。設計した辰野金吾や建築素材の展示が主だったかな。
スレートは最初葺き方がわからなくて強風で飛ばされてしまったから笑われたとか、煉瓦にはその煉瓦を作った会社の刻印があるとかいろいろ。煉瓦の刻印一覧はなかなかすごかった。こんなにたくさん煉瓦作った会社があったんだなーと。大阪窯業社の写真があってすごくいい感じの建築で見てみたいと思ったが、多分現存しないんだよな。あと笑う辰野金吾の写真とかなかなかレアなものを見てしまった。

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最後に別館の写真を撮ってお茶して帰宅。
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2019年09月21日

「文豪川端康成と美のコレクション」展

姫路市立美術館と姫路文学館の連携企画で「文豪川端康成と美のコレクション」展をやっているというので姫路に出かけてきた。今年はシーズンごとに姫路に行っている気がする。
姫路駅前からバスに乗り先に美術館へ。特別展の料金は2館合わせてで1400円。この2館をじっくり見ると考えれば大変お得に感じる額。
展覧会の副題は、「古今東西の名画、文豪たちの書 ーー幽遠を見つめる眼」。
川端康成が美術品のコレクターというのはどこかで聞いていて、「土偶・コスモス」展に出ていた土偶を見たのが最初だったと思う。今回の展覧会で知ったが絵画、書、骨董に工芸品と幅広く集めていたようだし、書簡も多く保存されているようだった。
コレクションの中でも国宝に指定されている池大雅・与謝蕪村の「十便十宜図」は美術館で、浦上玉堂の「凍雲篩雪図」は文学館での展示となっていたが、私が行った日は浦上玉堂の方は期間外で残念ながら複製展示だった。
美術館では展示とともにところどころにそれらについて川端が語った文章がパネルで紹介されていて、美術品に対してはあれこれ説明するようなことは言わなくても、好きか嫌いか、惹かれるか惹かれないか、いいか悪いかだけでいいようなことが書いてあったのに、実際書かれた文章を読むとこまやかで愛情があって…特に埴輪の頭部、あの目と口に穴があいた簡素な顔に対しての描写といったらもうもう。川端がロダンの「女の手」を凝視する写真があったけれど、ああいった文章は、ああして観察することから生まれるのかなーと思った。

与謝蕪村の文台とかなかなかレアなものがあったり、池大雅の「般若心経」!池大雅は字もいいなあ。
それから川端の本の装丁画ということで東山魁夷が多数あってどれも良かったが、特に北山を描いた絵がとても好き。
絵ではあと草間彌生の「不知火」。水玉かぼちゃしか知らなかったので、初期にこんな絵があるとはと驚かされた。あとベル・串田の「センチメンタル・ジャニー 神と共に」がとても良かった。展覧会で川端が欲しいと言ったのを非売品と断ったが、後に川端がノーベル賞を取ったときに画家からお祝いにと贈ったらしい。
それから工芸品の中では黒田辰秋の漆器が本当に良かった。また眼が肥えてしまった…と思いつつ、文学館に歩いていった。

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カフェでアイスコーヒーを飲んで休憩してから文学館に入る。
こちらは2つのフロアに展示が分かれていて、2階では川端康成の作品や書簡、写真など。芹沢_介の装丁とか。あと浅草のカジノや見世物なんかのチラシもあり、ほんといろんなものを蒐集してたんだなーとしみじみ思った。
ノーベル賞をもらってすぐ家具屋に入って賞金で買った椅子とか。

川端康成の初恋の人という伊藤初代からの書簡があり、また川端が岐阜にいる初代に書いた手紙があった。出されなかった手紙というけれど、草稿なのかな。あれほどの書き手が、たった1人の女の子に向けて筆を尽くして説得を試み、会いたいと訴えかける手紙、なりふり構わず必死なやつ、こんなもの他人が読んで良いのかと思うような。
川端康成の短編で、長良川の暗い水面の描写がとても強く印象に残っていて、この失恋のタイミングで長良川を見ているのか、というのが分かった。
そういえば3階の方に太宰治が芥川賞の選考委員をしていた川端に送ったあの有名な手紙があって、あれもまた別の意味で必死だったな〜。そう経済的に余裕がある方でもあるまいに、反故なんか許されないいい紙に
「早く、早く」

あと川端が撮った満州の写真も魅力があった。

3階の展示はいろいろな作家の書や書簡が主。川端がノーベル文学賞を受賞したとき、その知らせを受けたときの書斎の写真があり、そこにかけられていた3枚の書が展示されていた。北原白秋、若山牧水、尾崎紅葉。
いろんな作家の書があったけれど、意外と田山花袋の字が好き。
横光利一からの書簡にあった川端の何かの作品の評で、「論理の関節が詩で煙っているので殊に良い」っていい方がなんか良かったな。それに林芙美子が川端の新刊を読んで居ても立ってもいられず筆をとりましたって手紙を書いているの。そういう書簡のやり取りっていいなと思った。

ほんと2館合わせて見ごたえのある、贅沢な展示でした。
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2019年09月07日

鳥羽に行ってきた

レンタカーで鳥羽に日帰りで遊びに行ってきた。今年は7、8月と単発の派遣仕事を受けて、繁忙期のヘルプだけあってお盆も土日もない忙しさだったので、こんなんじゃ夏終われないよという気持ちの行き場に程よい距離の遠出。
ずっと前に1回浜松の両親と鳥羽に行ったときは、車で愛知県の渥美半島の先っちょの伊良湖岬からフェリーに乗って行ったのでわりと手軽で行きやすい印象があったのだが、大阪からだと名神高速から伊勢自動車道と走っていく片道約200kmコース。自分の体力的に1日で往復400kmのドライブはできなくはないがけっこう厳しいので、滋賀まではJRで行ってそっちで車を借りることにした。
何年か前に近所でレンタカー借りて旅行に行こうとしたら渋滞にはまって抜けるのに何時間もロスしてしまったことがあり、特に連休のときは電車である程度京阪神を脱出してからレンタカーを借りるという習慣になりつつある。

出発したときの天気は悪かったが、SAに立ち寄りつつお昼頃に鳥羽駅らへんにたどり着くとこれぞ夏って感じの快晴だった。
まずはランチ。家族がイタリアン気分というので、駅の近くにあるクッカーニャというお店に入った。
パスタとドリンクのランチに、キッシュを追加。

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タコとサザエのジェノベーゼ。とても美味しいだしが出ていた。タコとサザエもついでにズッキーニも肉厚。家族は特にこんなおいしいキッシュはじめて…と感動していた。

鳥羽に来るまで知らなかったが、SAで休憩中にランチのお店をマップ上で探していたら江戸川乱歩館という文字が見え、なかなか来る機会もないので予定になかったが寄ることにした。
駐車場があるかわからなかったのでランチのお店の人に頼んで車をそのままとめさせてもらい、歩いていく。

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程よく狭くていい感じの道だなと思いつつ歩いていくと、並びに古びた色の民家が見えてきた。

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江戸川乱歩館はここに住んでいた岩田準一の家を中心にした鳥羽の文学館だそう。
岩田準一は竹久夢二に師事して絵を学び、乱歩の『パノラマ島奇談』などの挿絵を担当したそう。また民俗研究家で男色の研究で乱歩とは同好の士でありライバルであったとか。
江戸川乱歩は大正6年、23歳のときに鳥羽造船所に庶務として勤めはじめた。それから大正8年に退社して上京するまで鳥羽で暮らしていた。坂手島の出身で小学校の先生をしていた村山隆子と出会ったのも鳥羽でと思うと滞在は短かったけれど印象深い土地だっただろうなと思う。
受付の方に教えてもらったところ、乱歩館のすぐ真向かいの家が乱歩が一時下宿した家なのだそうだ。

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貼雑年譜の鳥羽の地図を描いた部分がパネル展示されていたが、それを見るとたしかに書かれていた。

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展示はざっと見たが、乱歩が撮影して編集したという映像は時間がなくて見られなかった。
記念に岩田準一の絵と南方熊楠の猫の絵のはがきを購入。

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展示を見終わって外に出ると、景色は一変していた。こっちに日和山がありそっちに港があり、それからミキモトの真珠島がすぐそこにある。これが乱歩が歩いた町。これがパノラマ島を育んだ町。

お店の駐車場までふわふわと歩いて車を回収し、近くにある赤福の駐車場に移動させる。夏の間に必ず1回は食べたい赤福氷を摂取した。

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これでいつでも夏終わっていいです。

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車の中から家族に撮ってもらった真珠島。この岸からの近さがなんかすごく妄想をかき立てるものがあるよね。しかも真珠島って名前自体も乱歩的に思えてくる。

車を走らせて次の目的地は鳥羽市立海の博物館。

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石垣があって大きな民家のような建物が何棟かあり、一見するとよくある博物館らしくはない。建築は内藤廣。

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受付のある建物の入口に入ると天井がとても高く・大きく・広い印象。
手招きされるままにとりあえず海女の生態ビデオ?を見て基礎知識を入手した。

ここでの目的は「クジラはアートだ!」。クジラづくしの特別展。
まずはクジラが描かれた絵画をたっぷり見る。江戸時代には魚の一種として理解されていたクジラの図や数々の捕鯨図。それぞれ違う役割のある船が巨大なクジラに向けて漕いでいく絵を見ていると、もうなんか祭りだなという感じがする。祭礼図。闘牛みたいな。
蘆雪の下半分が真っ黒の鯨はパネルで。

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次の会場となっている建物に移動する途中に国芳の顔出しパネルがあった。国芳の青が好き。
別の会場ではクジラの髭や歯などを使った工芸品、クジラの姿をかたどった玩具などやクジラが描かれた各国の切手、それからクジラの供養塔などなどとにかくクジラづくし。船乗りが船に乗っている間にクジラの歯に彫刻したというものには素晴らしいものがあった。
クジラの供養塔の分布なんてこんな機会でもないと見られないだろうな。それから大阪の東淀川区にクジラの骨でできた雪鯨橋があるお寺があるというのを知ったので、またこんど見に行ってみようと思う。

常設ではお祭りのつくりもんや船の収蔵庫などを一通り見物。

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瀬戸内海歴史民俗資料館、沼津市の歴史民俗資料館、それから名古屋での「海たび」展と見てきて、やっぱり海に関わる民俗的なことってけっこう興味深く面白いなーと思いつつカフェで博物館の中庭でとれたというやまもものジュースを飲んで帰路についた。道の駅みたいなところで地場産の野菜でも買おうかと思ったけれど天気が悪くなってきたので、まっすぐ高速道路に乗り、約150km走って19時前に車を返却して帰宅。
あまりゆっくりはできなかったので、やっぱり鳥羽らへんまで行くなら1泊にしたい。
タグ:海の博物館
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2019年07月10日

「バルセロナ展」姫路市立美術館

バルセロナと聞いて最初にぱっと思い浮かべるのはガウディのサグラダファミリアという人が多いんじゃないかと思う。私もそう。新婚旅行先をスペインに決めたのは、ガウディとアレハンドロ・アメナーバルの映画で見たセビージャの街が目的だった。
その時のツアーは飛行機がエンジントラブルでスペインに直行のはずがロンドン経由になり滞在時間が丸1日減ってしまった。空港でかなり待たされて疲労困憊の夜にバスから見たガウディは夢の中の出来事のようだった。

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なのでいまいちちゃんとバルセロナに行ったという気がしてないのだが、一つだけ言えるとしたら、行く前にガイドブックの写真で見た時はガウディのタイルにはあまり興味がなかったのが、実際にグエル公園でバルセロナの太陽の下で見たらとても良くて印象が一変したこと。百聞は一見に如かず、そこに行って自分の目で見ることは大きく違うのだと20代の時に実感したのは良かったと思う。

ぐだぐだと書いてしまったけれど、そういうわけでバルセロナには思い出というか憧れというかいつかリベンジしたいというかそういう気持ちがある。なので姫路市立美術館で「奇蹟の芸術都市バルセロナ」展をやると知ったら行かずにはいられなかった。副題は「カタルーニャ近代美術の精華」。元々バルセロナはカタルーニャという国の都市で、18世紀初頭のスペイン継承戦争で敗退して荒廃しフェリペ5世によって城塞が作られ、バルセロナを見張る要塞が2つ作られた。
展示は1859年、産業革命で人口が増えて過密化し都市問題が顕在化してきたバルセロナの、イルダ・フォンス・サルダーの都市拡張プランから始まる。都市計画が建築の需要を高めていた。
1862年にキューバ独立戦争があり、植民地で富を得ていた人々の帰国により資金がバルセロナに流入したことにより芸術の需要も高まった。まあなんか1882年にバブルはじけたらしいけど。関係はないがこのバブルがはじけるという言葉、8文字でその前の経済的にイケイケな発展時期とその後のしおしおになる衰退時期の両方がいっぺんで理解できてなんかすごいよな。
そして1888年にバルセロナ万博。マスタープランナーはイリアス・ルジュン、ジュゼップ・ビラセカの凱旋門やドゥメナク・イ・ムンタネーのカフェ・レストラン館など。ポスターを見るとカフェレストラン館がほとんど城だった。鉄骨構造の採用とスペイン・イスラーム建築の意匠の採用、露出したれんがの使用が特徴的で、これにより構造材を見せる新しい発想と中世の建築へのオマージュが共存することになったそう。そうその折衷の感じがスペインに行って感じた魅力だった。

バルセロナの芸術ということで行く前は絵画や彫刻が主なのかなと思っていたが、都市計画や建築の展示もけっこうあったのは嬉しかった。
バルセロナ建築学校の教師であるムンタネーと、卒業生のガウディとプッチ・イ・カダファルクの「不和の街区」にある3つのカザ(家、住宅)が紹介されていた。それぞれのカザの部材と共に外観や室内の映像が流れていた。
カダファルクのカザ・アマッリェーはスグラッフィートの壁面、多数のタイルを使用した左右対称の階段状切妻破風。この言葉からはあのファサードは想像できないと思う。
隣り合ってるガウディのカザ・バッリョーからは扉が一枚と組椅子の展示。曲線のこだわり、部屋のすみに角がないのが独特な印象。そういえば最近藤森照信の本でガウディは規格的な工業生産されたタイルを破壊し再構成したみたいなのを読んだな。
ムンタネーのカザ・リュオー・ムレラはサンルームが各階にあり4階まで連なってるのが印象的。にわとりのステンドグラス。
建築家が彫刻家や画家などを集めて作り上げる総合芸術としての建築。実際に住む住宅としてはかなり過剰でどこに目を向けても装飾が過多で落ち着かないように思えてしまうが、富の発露としてはそんなもんなのかなー。
色が細かに異なる多数の寄木象嵌であらわされた庭の婦人や、コーナーテーブルにも寄木でバラがあったりするの。
ひとつ知ったのは、ガウディはなんかごてごてしてて貴族や富裕層のための建築家だったのかなーと思っていたが、キリスト教をテーマにするサン・リュック美術協会に所属し、1881年にマタロ労働者組合社の建築計画などもしているということ。
富がバルセロナに集まる一方で格差が広がる、労働者がテーマの絵もいろいろとあった。

絵画の流れとしてはパリから影響を受けたムダルニズマがあってエル・グレコを発見・再評価して影響を受け、ピカソが初個展を開いた四匹の猫の紹介。
20世紀に入るとそれを批判してカタルーニャナショナリズムの高まりがあり、ノウサンティズマ(1900年代主義)が起こってくる。政治と結びついて民族性を地中海文明に見出すよりローカルな表現様式。その精華は1929年の国際博覧会に結実した。
1888年のバルセロナ万博はシウタデリャ要塞の跡地で、国際博覧会はムンジュイックの丘でと、それぞれがかつてバルセロナを監視するための要塞の跡地で開かれている。バルセロナを閉じ込める象徴が国際的に開かれたバルセロナの象徴へと反転しているというのに強い印象を受けた。

そしてダルマウ画廊で個展を開いたミロ、ダリ。ナショナリズムが流行ったカタルーニャもシュルレアリスムを受容していた。やっぱパリが近いから、パリの影響を受ける→自分たちの独自性を探す→影響を受けるとゆるやかに推移するなー。家具なんかもアールヌーヴォー風のものがあったし。

建築としては1929年に「新しい建築」展があり、ミース・ファン・デル・ローエやコルビュジェなどモダン建築の最先端の影響を受けようとしていた。コルビュジェが参加した新たな都市計画も立ち上がる……しかしそこでスペイン内戦。
1937年、スペイン内戦中のパリ万博にはピカソのゲルニカが出展された。
展示を通して都市が解放され、自由を謳歌して拡張していくのを見て、そしてそれが内戦によって不意に断ち切られる。狭い場所に閉じ込められた2人の女性を描いた、内戦によって都市計画が立ち消えになったコルビュジェのリトグラフで展示は終わる。

ガウディ、ピカソ、ダリ、ミロなどの背景がよく分かった。めちゃ勉強になりました。
あと印象的だったのは、ミケロ・ウトリリョのシュザンヌ・ヴァラドンの肖像があって、名前がこの表記だったから最初あれっ?と思ったが、ユトリロを認知した画家とユトリロの母やん! 伏し目がちであまりきれいには見えない女性。この瞬間だけ姫路市立美術館で過去に見たユトリロ展に心が戻っていた。
あとピカソが描いた友人のカルラス・カサジェマスの絵は、自殺する前の肖像だというのに既に不穏で、彼の自殺をきっかけにピカソが青の時代へと入っていくという知識があるから不穏なのか、いややっぱただごとではないわこれはという感じだった。
あとスペインらしさと言われて思い浮かべるのは、ヌネイの描いたジプシー女のシリーズかもしれないなーと思った。
ガウディに協力して家具デザインをしたジュゼップ・マリア・ジュジョルの商店のドアの把手は鉄彫刻で貫かれた心臓がついているのとか、ジュゼップ・リモーナの初聖体拝領の少女が良かった。

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ガウディグッズがいろいろあったので、つい買ってしまった。カザ・バッリョーのトートとタイルのノート、不和の街区のしおり、あとホットチョコレートの素。
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