2022年09月27日

ばたばたしていた近況

「これからはまめに書いていきたいと思います」
そう書いて、どのツラ下げて9月末。

8月になにがあったかというと、義母が骨折した。夏休みに入る直前に。
私が電車に乗っているときに、仕事中の相方から珍しく「今話せる?」と連絡がきて、電車に乗ってると答えたら、
「義母が骨折したらしい」
「それで今日なら手術できるらしい」
「行けるなら病院に行ってほしい」
得られた情報は伝聞多めのこの3つ。
どの程度の怪我なのか、どういう経緯の怪我なのかはまったくわからず、1時間くらいかけて大きな病院に移動。
義母は検査巡り中と聞いて、そこからさらに数十分座って待つ。
検査が終わって現れた義母は意外と元気そうだった。少しほっとする。ただ右腕を包帯で吊っている。
橈骨遠位端骨折。
こけて手をついたらやりやすい場所らしい。

それから一緒に医者の話を聞くと、今日の夕方なら予定がたまたま空いているので、緊急手術できると。
世間はコロナ禍で大きな病院にかかるのは難しいようなニュースも目にしていたから、そんな都合のいい話ある? と思いつつも、早いところやってもらえるならそれにこしたことはない、なんといってもお盆休み寸前で、病院だって何日かは知らんが休みに入る訳だから、この機会を逃したら次がいつになるか分からない。
承諾して入院手続き……の途中で「もう時間だから」と義母が連れていかれてしまうくらい、急展開だった。
手術が終わるまで病院で待機して、無事に終わったのを見届けて、まあまあ遅い時間に帰宅した。

義母の手術翌日は我々の夏休み初日で、お盆で、実家にお坊さんを迎えてお経をあげてもらう予定だった。
義母はもちろん入院中だが、本人の希望もあり、私たち夫婦だけで決行となり、また朝から電車に乗って向かう。
実家へのバスに乗っている途中、お坊さんから「家着いたけど今どこや」と電話。
聞いていた時間より1時間早くお坊さんが着いてしまい、バスを降りてから実家まで少し距離があるのだが全力疾走するはめになった(注:8月です)

お経の後でお坊さんがいうには、今日の約束だったのに家に誰もおらんし新聞もささりっぱなしになっているから、中で義母が一人で倒れているんではと、わりと焦ったらしい。
まあそれはそう。

……でも1時間早く来るとは思ってなかったもんね。

そういうわけで、夏休みは病院に行ったり退院に付き添ったり買い出しをしたり地域の包括支援に連絡を取って家に来てもらったりと色々あった。
これを機に介護の申請をしようとお願いしたら、後日調査員から「今日なら行けるけどどうや?」っていきなり朝電話がきて行くことになったり……まじで今無職だからできたけど無職じゃなかったらできなかった。
それでもここに書けるくらいは色々と落ち着いてきたので、それはよかった。

こういう突発的なできごとがあると、中期的な予定を持つのが難しい。
来週の約束をするのが難しくて、まあでも今日なら行けるから行くわ、みたいな……。
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2022年08月09日

久しぶり日記

また前の記事を書いてから間が空いてしまいました。
去年東京に行ったときに見たもののことを書いときたいと画像まで準備して…書かず、そういえば山口旅行のことも書いとこうと思ったのに…書いてなく、今年春に常滑ー明治村と行った日記も…書けず…今年6月までに行った展覧会が50件あったのに感想も…書いてない…というか半年のまとめを書こうとして書きかけて止まっていた…………

書きたいものが貯まると、書き出すのにエネルギーが必要になって、どんどん溜まっていってしまうんですよね。
ここはもっと気軽な日記でいいと思っているので、直近のものからまた少しずつ書いていきたいと思います。これも毎回書いてるが。
昔のブログ見ると、1記事がせいぜい1ツイートくらいの文字数ってこともあるし、そんなもんでいいんよ。むしろ最近1記事が無駄に長くなりすぎていた。

とりあえず今のところ私も家族も元気に過ごしています。
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2022年03月29日

「超コレクション展」中之島美術館と国立国際美術館

今年、大阪中之島美術館がオープンした。
大阪市近代美術館構想が始まったのは1980年代。紆余曲折あって40年かかってのオープン。
私はその紆余曲折の部分は知らず、中之島美術館の存在を知ったのはイケフェスのガイドブックで、遠藤克彦建築研究所設計の黒い箱を見たのが最初だった。
宙に浮いたように見える黒い箱。それが美術館とは半信半疑で(ついでにイケフェスでの内部公開イベントは残念ながら抽選に外れてしまった)、昨年のいつごろだったか、建設中の建物の外囲いが外れて黒い箱があらわになってから、本当にできるんだとやっと実感できた。

開館記念のコレクション展は絶対に行こうと思っていたが、時間がなかなかとれず、実際に行くのは2/2のオープンから1ヶ月以上経ってからの会期終盤になった。
大阪駅前バスターミナルでなんば行き市バスに乗り、田蓑橋で降りて歩いていく。

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入り口はどこかよくわからなかったのでなんとなく人がいる方に歩いていったが、実は入り口は1つでなく各方向に複数あるらしい。
時間帯予約をして、その時間帯の中頃に着くように行ったが、中では入場待ちの行列が伸びていた。春休みに入る前の平日午前中にしては、かなりの人出だった。コロナ禍に入ってからこれほど人口密度が高かった展示室は、東京都美で見たゴッホ展くらい。
人が多くても、まあでも美術にそれほど興味がなさそうな層まで来ているという感じでもなく、美術館のオープンを祝う祝祭感、があったかな。
人が多くて2階から入ったらコインロッカーもトイレも使う余裕がなかったので、次回行ったときは落ち着いて寄れるといいなと思う。

コレクション展は2つのフロアを使い、3章にわけて美術館のコレクションがお披露目される。
巻頭はコレクションの基礎となった山本發次郎コレクションの佐伯祐三。人が多くてメモする余裕がなかったが、佐伯祐三の線に墨書の線に通じるところがあるという言葉があって、私が惹かれるのもそういう線かもしれないと思った。

静かな熱狂のなか流れるように鑑賞していったけれど、具体のエリアでガイドを聞いていたおばちゃん2人が、同時に聞き終わって「うん、わからん!」とハモっていたので思わず吹いてしまった。

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大阪と関わりのある近代・現代美術を収集するという力強い宣言。
そして大阪にかつてあった館の所蔵品を寄託されていること。まさかアルチンボルドにお目にかかるとは思っていなかった。かつて大阪市にあったふれあい港館ワインミュージアムの所蔵品だったそう。
それからサントリーミュージアム天保山から寄託された大量のポスターコレクション。
意外なところでは、家具のコレクションが豊富だった。

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コレクションにまつわる99の物語がサイトで紹介されているので、改めてゆっくり味わいたい。
https://nakka-art.jp/untold-99-stories/

そういえば美術館のコレクションで、作品の金額に触れている文章をたまに目にしたことがある。
A美術館「この作品は○億円! こっちは○億円です!」 (なんか具体的だとやらしいな…)
B美術館「一点豪華主義にするのではなく、値ごろな作品を幅広くたくさん集めました!」 (それもまたひとつの戦略…)
中之島「この作品今は高騰しとるらしいけど、安いときに買っときました!」 (すごく大阪っぽい!!)
となった。

あと印象に強く残ったのは、「殉教者の娘」三露千鈴からの島成園「祭りの装い」のあのへんの並びがすごくよかった。ちょっと語りたいのでまた後で書き足します。
それからロシア・アヴァンギャルドのコレクションがあるらしく、レフの現物とか初めて見たなあ。

面白そうな展覧会をやっているから行くというより、この美術館がやっているなら行こうと思えるような場所になりそうと期待がもてそうなコレクション展だった。

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おみやげにコロマン・モーザーのアームチェアクリップを購入。

中之島美術館の隣の国立国際美術館へ。

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ここでは「感覚の領域 今、経験するということ」展をやっていた。
飯川雄大、伊庭靖子、今村源、大岩オスカール、中原浩大、名和晃平、藤原康博の7人の作家の今の作品が展示されている。7人と絞られていることで、いつもより気持ちゆったりめに、1人1人の作品に向き合うことができたと思う。

今回は特に藤原康博の絵に惹かれた。

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なんかすごく実家感があるんだよな…。見るからにやわらかい、おそらく赤ちゃんを包んでいたような布、子ども部屋っぽいファブリック。板に描かれた白い山々も、なんかよく見るとどこの古い家にもありそうな板なんだよな。

それから今村源の展示。今回は吹き抜けに展示されていたけれど、なんというか、展示される場所と密接に関わる作品なんだなと思う。
いつか見たことがあったな、と思い返して、2019年だったかのイケフェスで、内部公開されていた原田産業ビルで展示されていたと思い出した。

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これも建物の細部の良さと相まって強く印象に残ったんだよな。

今回の特別展は、鑑賞の性質上これまでになく館内のスタッフさんに話しかけたりコミュニケートする機会があったけれど、皆さんとてもやわらかく対応してくださって、とても気持ち良い鑑賞体験ができた。

コレクションは「つなぐいのち」。1から順番に見ていって、4の「生のなかの死、死のなかの生」に至ったときにカタルシスがけっこうあった。うーん、あまり軽々しい言葉では言えないな。ここまで極限に近づいたものを目にすることはそうそうないから……。
思いがけない場所に塩田千春の「私の死はまだ見たことがない」を見て、そう、それはまだ見たことがない。
そういえば福岡道雄のピンクバルーンは、この日中之島と続けて見ることができた。

1日でたくさん見た印象をいっぱいいっぱいに抱えて、帰りは梅田まで歩いて帰った。
posted by すずる at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術館・博物館

2022年03月08日

茶の湯の展覧会

昨年の秋からお茶に関係する展覧会をいくつか見て、自分の中でつながっている部分があるのでまとめてメモしておこうと思う。

まずは京都国立博物館の「畠山記念館の名宝」展。
東京都港区白金にある畠山記念館を創立した畠山一清は、能登国主畠山氏の後裔で、荏原製作所の創業者だそう。号は即翁。
コレクションはさすがに国立博物館でやるだけあって見応えがあり、一室をなめるように見て、次の部屋に行く前にあれをもう一度目にしておこうと少し戻っては見返すようないい品がどの部屋にもある感じ。
牧谿の煙寺晩鐘図、雪村の竹林七賢図、それから酒井抱一の十二の花鳥図……なんとも贅沢。
他に印象に残ったのは本阿弥光悦の赤楽銘雪峯、俵屋宗達が下絵で本阿弥光悦が字を書いた古今集和歌巻。
京博を上から順に見ていくと、だいたいいつも1階の最後の部屋は力尽きていてさらーと一回りするんだけど、最後の最後に継色紙、升色紙、寸松庵色紙の三色紙とか、どれだけ贅沢なんや…と震える。
後期に行ったんだけど、前期の〆は藤原佐理の離洛帖だったらしい。それも見てみたい…。

茶会の写真を見ると、同席の逸翁さんとかほかの人がまあ年相応に背が丸まっていたのに対して即翁はとにかく背筋が伸びて姿勢がよいのが印象に残った。まるで武士みたいな……それとも能を演じたというから、そのためなのかな。
コレクションの中にけっこう琳派があるなと思った。金沢に何度か旅行に行って見た歴史的建造物の中で美しいなあと思った経験と通じるところがあるような気がして、金沢の人、金沢の美意識という印象を受けた。きれい。
いつか上京の機会に記念館を訪れてみたい。

泉屋博古館「伝世の茶道具」展。

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仁清の水指が展示室の外に置かれて、美術館の中庭をバックに明るいところで見られたのがとても印象的だった。

茶道具に興味をもったきっかけははっきりしている。北森鴻の『狐罠』が面白くて、それでたまたま本屋で見かけた『眼の力』、谷松屋戸田商店の11代目戸田鍾之助さんの聞き語り本を買った。

自分の中での茶道具の知識はこの本が基礎になっているが、この中で住友家のコレクションの話がちょいちょい出てくる。

展示室に入って冒頭は佐竹本。
大正時代にあまりに価値が高くて買手がつかず、分割され希望者にくじ引きで割り当てられたという三十六歌仙絵巻。春翠さんが引いたのは源信明だった。
ここには何度か訪れているが、小井戸茶碗銘六地蔵にお目にかかるのは初めてかもしれない。これも『眼の力』で読んで名前を覚えていた茶碗の一つ。
鍾之助さんの三代前の戸田露吟が住友家に収めたけれど、あまりに高額だったのでしばらく出禁になったというエピソードが書かれていた。
展示の中でどれだったか忘れたが、戸田商店の主人の名前が見えて、自分にとってはそこから興味が始まっているので特別な感慨があった。

展示台には畳が敷かれ、茶道具が京博よりも低めに置かれている。実際に茶会で目の前に置かれたのに近い角度だろうか。
だいたいどこに行っても茶碗の見込みを見るには背伸びしなければならないので、新鮮に感じた。

茶道具そのものも素晴らしいけれど、それを包みしまう仕覆や箱も良い。
表装のところで大阪の表具師の名が出てきて、大阪市立美術館の聖徳太子展のときにコレクションで「井口古今堂と近代大阪 ― 船場の表具師と芸術ネットワーク ―」という特集を見たのがまだ記憶に残っていたのでちょうど良かった。
ここのコレクションは基本的に表装が豪華なんだけど、逆にシンプルなものがあり、お寺さんとかから譲り受けたそのときのままにしてある物もあると知った。

そういえば砂張舟形吊り花入の松本舟が展示されていた。
畠山記念館展での針屋舟と合わせて天下三舟のうち2つを秋に見たことになる。じゃあ三舟の残りひとつは何?と調べたら、淡路屋舟といい野村美術館所蔵だそう。それならそのうちコンプリートできるかもしれないな。
関係ないが、近代の茶人の道具収集のエピソードを見るとちょいちょい野村徳庵の名前を見かけるので、また争ってる…とにやっとしてしまう。
花入れは写しかなにかで実際にお花が入っているところを見てみたいな。

泉屋博古館のコレクションは何度か見ているものもあるので、理解が深まった部分もあるけれど、お茶をやっていないから知らない言葉、知識があり、自分がそれを知らないということがようやく分かってきた気がする。

この展覧会で最も印象に残ったのは、千宗旦の一行書「日々是好日」だった。
言葉そのものの印象としては、順風満帆な人生というか、なんとなくぽかぽかした日に昼寝でもしているようなのんびりした良い日というイメージを持っていたが、この書をひと目見てそうではない、思い違いだったとわかった。
人生はいい時ばかりでない、むしろ逆風が続く時もあるが、どんな日であっても「好日」にするという意思。日々を「好日」にするのは自分自身だと。
元は碧巌録に出てくる中国の禅僧雲門文偃の言葉なんだそう。自分の解釈が適切かどうかはわからないが、この書を見たときに自然と姿勢を正そうと感じた、それを大切にもっておこうと思う。


大阪くらしの今昔館「大工頭中井家伝来 茶室起こし絵図」展。

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江戸幕府京都大工頭の中井家伝来の、重要文化財に指定されている資料のうち、茶室起こし絵図を中心にした展覧会。講演会に参加申し込みをして、それに合わせて鑑賞した。
茶室の間取りを切り込み紙を立たせて立体的に見せる茶室起こし絵図。
貴重な茶室のものも残っていて、資料としてとても価値があるものを見ているのは分かるが、図を見てそれを頭の中で具体的に想像するのが苦手なので、それ自体を鑑賞という域にはなかなかいけなかった。なので講演が聞けたのはとてもよかった。
その日の講演は「数寄大名小堀遠州と大工頭中井大和守」と「大徳寺塔頭玉林院の茶室「蓑庵」と牌堂「南明庵」の建築にみる大工の技ー数寄屋大工と堂宮大工の協同ー」の2本立て。

中井家初代中井正清は関ヶ原合戦の後、伏見城の再建で徳川家の城郭作事を担当した。
古田織部と小堀政一(遠州)と作事について相談する文書が残っていて、この時織部61歳、遠州は家督を継いだばかりの26歳、正清40歳。
肖像を見ると、織部と遠州は深緋、中井正清は黒の束帯姿で描かれている。織部と遠州は従五位下、中井正清はその上の従四位下なんだそう。大工から大名に匹敵する出世。
束帯の色で位階がわかるというのは今回新しく得た知識だった。
それでなんとなく家康と秀吉はどうだったかなと肖像画を検索してみたんだけど、どっちも太政大臣までいって没後正一位……家康は黒で、太閤さんは……なんか白なんだよな……。
色のことは面白いので、宿題とする。

脱線したが、中井正清はそれから二条城、江戸城、駿府城、名古屋城、内裏、方広寺大仏殿、知恩院、久能山東照宮、増上寺、日光東照宮、江戸の町割りなど錚々たる建築に大工の棟梁として携わっていく。経歴がすごい。そんな中井家に伝わった文書はそれはもう貴重なものだろうなという気しかしない。

講演で得た知識として、あと小堀遠州の伏見小屋敷にあった飾り棚が、展示にもあったがけっこう派手な意匠で、きれい寂びといってなんとなく想像していたのはもっとシンプルな感じだったので意外に見えた。
松花堂昭乗の滝本坊と伏見奉行屋敷の一部を復元した茶室が静岡県島田市のふじのくに茶の都ミュージアムにあると聞いたので、いつか機会があったら行ってみようと思う。

展示室内に竹中大工道具館蔵の大徳寺蓑庵の実物大模型があったが、それの詳しい話も聞けてよかった。


最後に逸翁美術館「千家十職」展。
千家、裏千家、武者小路千家の三千家に出入りする十の職方。
これまで茶道具をいろいろと見てきて、だんだんそれを作る側の名前も目にしてきて、ここで整理してみようという気持ちもあり行ってみた。
逸翁美術館は今回3回目だが、毎回学ばせてもらったという感じがする。
以前見た「わびとサビとはどう違う?」展もブログに感想を書いてなかったのでここで少しメモしておくが、わびとサビをジーンズで例えて、ジーンズに開いた穴が詫び(個性)、色落ちが寂び(変化)と説明されていたのが面白かった。
侘びを不完全なもの、固有、Incomplete
寂びを変質、無常、Impermanent
として、茶の世界では「粗い」は「素朴」、「歪み」は「愉快」、「壊れ」は「個性」、「褪せ」は「枯淡」、「剥げ」は「穏和」と価値が転換し、それぞれに当てはめた茶道具が展示され、わかりやすかった。

さて、十職……つまり十家がそれぞれ十何代目くらいいるからとにかく登場人物が多い。
コレクションの展示だから、全員が律儀に登場するわけではないけど、それに加えて千家の家元の名前も出てくるからね……。
十家の歴史をそれぞれ見ると、天明の大火(天明8年/1788年)の被害は等しく大きかったんだなとしみじみ思う。大谷大学美術館で見た「東本願寺と京都画壇」展でも説明の中で「京中丸焼け」って書いてあったしな……。そこで道具や資料が持ち出せた家と焼けてしまった家と。それをきっかけに自家の歴史をまとめようとする代も出たり。

茶室起こし絵図展で、中井家の初代正清の400回忌をやったという話を聞いて、すごっと思ったんだけど、樂家も初代長次郎の300回忌を明治時代にやっていて、やるんだなあ…みたいな感慨があった。

展示では、黒の棗はいつまでも見ていられるのと楽茶碗の黒から滲み出てくる朱がとてもよかった。
もしひとつだけ好きなものを持ち帰っていいと言われたら、青磁に黒い塗りの蓋を合わせたやつ。はっとするような色の取り合わせだった。

今回の展示を見たことで、たとえば泉屋の伝世の茶道具展の目録を見返して、楽茶碗は一入、了入、旦入と名前があるなとか、金物師の四代中川浄益、釜師の大西家は浄玄、浄寿が出ていたなとか、まだ何代目と作風までは結びつかないけれど、これからの鑑賞のとっかかりになったと思う。
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2022年02月21日

京博のお正月と岸田劉生

2月のはじめに、そういえばうかうかしていると京博のお正月の特集展示を見逃してしまうと、京都に行ってきた。
特別展をやっていない時期の京都国立博物館はあれこれ特集展示をやっていて、それがかえって見ごたえがある印象があるので、なるべく行くようにしている。

今回考古室では、「四国の弥生土器と弥生・古墳時代の生産ー辰砂と鉄ー」という特集があり、愛媛の土器と、徳島の朱(辰砂)、大阪府柏原市の鉄の生産遺跡が取り上げられていた。
徳島県阿南市の若杉山遺跡は前にも京博で見て、辰砂の生産遺跡なんてあったんだーと印象に残っていたが、今回はそれが詳しく紹介されていた。しかもカラーの資料を配布していて、とても参考になった。

前にも書いたかもしれないけれど、ここ数年京博の考古室がけっこう熱い。地方色のある、そこの地域の資料館に直接行かないと見られなかったような遺物を紹介してくれる。
愛媛県今治市の阿方遺跡で発掘された阿方式土器は、四国地方の前期弥生土器の基準なんだそう。同じ遺跡出土の遠賀川式土器と比べると、系統を引きつつも装飾がついて豪華になっている。

鉄では京都の和束町原山古墳出土の5世紀の帯金鋲留式甲冑が初めて見るものだった。それは歩兵用の武具で日本列島独自のスタイルなんだそう。これまで古墳から出る鉄製の鎧といえば小札を綴じ合わせたものと思っていたが、それは後期になって馬に乗るための鎧らしい。戦に馬が使われるようになる大きな変化がその時代の間にあったことが実感できた。
初めて見たといえば、柏原市田辺古墓群8号墓。塼を4枚並べてその上に火葬した骨を置いて、それを覆うように大きな須恵器を伏せた状態でかぶせた形も初めてだった。柏原市のサイトを見たら、同様の例が岡山県でも発見されているそう。
それから徳島の田村谷銅鐸、美しい六区流水紋、愛知県犬山市の東之宮古墳出土品、そして今期の特集展示のひとつ「後期古墳の実像ー播磨の首長墓・西宮山古墳ー」など見応えがあった。
ここ出土の特殊な須恵器、子持壺でさらにミニチュアの人や動物などがついているやつ…は京博で以前にも見たことがあって、面白い土器が出た古墳と名前を覚えていた。ここは副葬品が埋葬したときのままの状態で残っていたらしい。全長35mと聞くとそう大きな古墳ではないが、副葬品は規模に比してかなり豪華に見える。当時の写真パネルもあり、副葬品の全体像がわかってとてもよい企画だった。

考古つながりで、新収品特集の中に、伝牽牛子塚古墳出土の夾紵棺断片があって、そんな貴重なものがどこから出てきたのー?とびっくりした。
横に参考展示で90年代の収蔵品で、乾漆像かなんかの断片かと思われていたのがどうも夾紵棺の断片らしいというものがあり、研究が進んで後から違うものと判定されることもあるんだなーと思った。

だらだら書いていたら考古の部分だけでだいぶ長くなってしまったが、新春特集といえば干支づくし。
寅年で、京博の公式キャラはトラりんであるからして、当然トラりんのモデルとなった尾形光琳の「竹虎図」でスタート。グッズなどでよく見かけていたが、ちゃんと見るのは初めてだった。
江戸時代の終わり頃まで多くの日本人は虎を実際に見ることはできず、伝わってくる絵や物語の中の存在だったという。
虎とは勇猛果敢なものというイメージがまずあったとして、ここでは虎のそれ以外の面が見られるものや、たとえば子ども用の火消し半纏に刺繍された虎とか、猛々しさと小さな半纏のようなギャップのある取り合わせが印象に残った。
中国では虎は安産とか子育ての意味もあるそうで、虎が3匹の子を生むと、その中に必ず1匹の豹がいるという話が紹介されていた。これから虎の親子の絵を見たら、豹が紛れているかどうか注意してみよう。
あとは妙心寺の豊干と虎図がもうめっちゃ好きだったのと(グッズお願いします)、推しの後陽成天皇の龍虎梅竹がよかったのと、十二類絵巻の中のタヌキの強さと、竹と一緒に描かれていればきっと虎というのが印象に残った。岸駒の虎もよかったな。
なんかキャプションのキャッチがちょっと変わったというか、大津歴博みを感じた。

新収品特集では、円山応挙関係資料が量があるようでこれから少しずつ見られると思うので楽しみ。
それから若冲の百犬図とか、池大雅の竹石図はこんな線も描くのかーとこの間名古屋で池大雅を見たばかりなのにまた新たな発見をした感じがした。それから徳川家光画の梟が紛れていた。やっぱり癖がある。春日局に縁がある稲葉氏に伝来したものらしい。

京博を見終わって、バスで東山に移動した。

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京都国立近代美術館では「岸田劉生と森村・松方コレクション」をやっていた。
美術館が2021年に個人コレクターから岸田劉生の作品を一括収蔵し、館が所蔵する岸田劉生作品が50点になったということで、それらがすべて公開されていた。
タイトルに名前が入っている森村義行と松方三郎は、国立西洋美術館の松方コレクションの松方幸次郎の弟らしい。なんかすごいなコレクター兄弟。あと岸田劉生の大きな支援者だった芝川昭吉と、芸術家を支援した側が紹介されていた。

岸田劉生を知ったのは、なんの授業だったかも忘れたが、中学生のときのフルカラーの参考書みたいなやつに載っていた麗子像で、かなり個人的な理由でいい印象がなかった。それだけだったら、たぶんわざわざ見に出かけることはなかっただろう。
なんか気になると思ったのは、泉屋博古館の「フルーツ&ベジタブルズ」展で野菜を描いた静物画をいくつか見てから。それから兵庫県立美術館で見た壺の絵にはとても惹かれていた。

初期の絵は、「言われてみれば○○風だな」と感じる絵がけっこうある。言われてみればウィリアム・ブレイクだなあ、とか。
人物、風景、静物、画材も色々使っているけれど、その中で見ていてやっぱり惹かれるのは油彩の静物画だった。壺の肌の感じ、冬瓜の表面の感じ。
渡欧のためのお金を貯めようと満州に行くが体調を崩し、山口で38歳で亡くなる。
「フルーツ&ベジタブルズ」は図録を買っていたのであとで確認してみたが、紹介の仕方でかなり人物像って変わるなあと思った。今回は春陽会から脱退したことが強調されていたと思う。敵も味方もいた。

コレクションの方に、同時代の西洋の画家の作品がいくつかあった。もし渡欧してこれらの絵を見ていたら、岸田はどんな絵を描いたのかなと想像させる。わからんけど、ユトリロが思いがけず見られたのでちょっとうれしかった。
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