2012年12月06日

一緒に死のうと

自慢にもならないが、「一緒に死のう」と頼まれた回数は人と比べて多い方なんじゃないか。
最後の旅の道連れに丁度いい顔をしてるのか、性別年齢問わず誘われる。
私は人一倍怖がりだし、預言の自己成就をそれなりに信じているので、いつも曖昧に笑ってごまかしている。

死ぬのはせつない。
それは祖母が毎晩言っていた言葉だ。幼い私に背中をさすらせては、死ぬと思うとせつないよと言うから、毎晩寝る前に「私の寿命をおばあちゃんに分けてください」って神様にお祈りしていた。
一方で母親がすぐに死ぬ死ぬと脅かすタイプの人で、母親がいなくなってお前は独りぼっちになるんだとよく言われてたから、死はさみしいものだと刷り込まれている。
祖母は最後は惚けたけれど大きな病気もせずに大往生して、母は健在。いまだに帰省すると自分が死んだ後の始末を事細かに相談してくるから、母のそれは趣味なのかもしれないな。

それはさておき、向こうから親しみを持ってきてくれる人は、大抵誘ってくれるので、まさかと思うような人に言われた時は不謹慎にも笑いそうになってしまった。
私の存在って、ふらりと彼岸に誘う逢魔が時みたいなものなのか。
ハタチ越えたばかりの小娘に「もう充分生きたでしょ?」と笑って言ってくれたあの人も、「君なら一緒に死んでくれる気がした」と静かに告白してくれたあの人も、私が唯一「そんなに言うなら一緒に死んでやろうか」と言ったあの人も、あの人もあの人もどうにかこうにかまだ生きてるみたいで、本当に死んで行く人は私には見向きもしない。

そうしてみると、私にそんな言葉を投げ捨てて、みんな身軽になっていったのかしらね。

今日みたいな夜はむかし言われた言葉が体の中に降り積もっているのを思い出す。

そういうわけで、何かしら私のことが気になってる人は、私に言うこと言って楽になればいいです。
私だって、生きてる人のことはどうでもいいのだから。
posted by すずる at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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