2015年01月20日

MONKEY vol.3 こわい絵本

今年の読み始めは雑誌『MONKEY』こわい絵本特集号になりました。
読み始め用の本は他に準備してたけど、読む暇がなかった上に実家に置いてきてしまった。
絵本ってちっさい頃に読んだ記憶があまりなくて、今に至るまで興味持ったこともなかったけど、今回の特集はちょっと不条理で、ちょっと怖くて、ふとした瞬間に世界が断ち切られて置いてきぼりにされちゃったような、短くて余韻を残すいい怪談を読むのに似た感触で、絵も文もとてもよかった。
ジョン・クラッセンの描くおばけは憎めないねー。
ブライアン・エヴンソンもよかった。
柴田元幸と穂村弘の対談を読んだら、穂村さんの「言葉やビジュアルとして書かれていることと、絵本を読んだ読者が感じ取ることは、本当はイコールじゃないはずなんです」、それが絵本の特徴と言えるという発言に、ああーと納得するものがあった。
あっ、つまり怖さってそういうことかもなあ。
あと穂村さんの
「(読んだ時に)どういう気持ちになるかは自分が決めたいし、今まで一度も名付けられなかった感情になりたい」
って言葉もよかった。
クラッセンや、アメリカやイギリスの書店や文芸誌の編集者へのインタビューとかもだけど、こだわりがある人の話は面白い、ていうかこの雑誌に載ってる人はそういう感じが多いけど、決してマジョリティじゃないけどコミュニケーションを否定してない、外に開かれてるマイノリティっていうか、うーん、そんな個人的なこだわりが整理して語れるまで洗練されてて、やっぱこの、自分だけのこだわりがあること、それを人に伝えられる力が強いっていうのは憧れるなー。

今回の猿からの質問は「立ち会ってみたい瞬間」
Q&Aというよりはそれがテーマのアンソロジーみたいだ。
なんか、政治とかイデオロギーを語りながら、ちゃんと私のような浮世離れした話が好きな人間にもグッとくる短編小説になるのってすげーなとスティーヴ・エリクソン読んで思った。生々しくなく寓話として描けてるというか。

今回も濃かったです。
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2014年03月07日

MONKEY vol.2



『MONKEY vol.2』は特集「猿の一ダース」、編者の柴田元幸さんが今読みたい作家さんということで、簡単感想を。

ブライアン・エヴンソン「ザ・パニッシュ」。罪。2人の少年の秘密から結末まで何とも言えず不穏。いじめっ子といじめられっ子、人生の勝ち組と負け組、そんな単純な上下関係では括りきれない2人の関係、単なる復讐譚じゃない。
なぜその結末から2人は逃れられないのか、ぼかされてるそこに何かがある。嗜虐性がきれいに隠れてる感じ。
不穏で怖い。

神慶太「川」、川をインテリアや衣装にする話。水が流れるのを眺めるように読める。不穏な短編に挟まれて収まりがいい。

ケリー・リンク「モンスター」、最近『スペシャリストの帽子』を読んだばかりだったので、女の子を書く作家さんという印象があったけど今度は少年達のキャンプの話。ちょっと母親視点な感じがする。うーん、すげー力技。モンスターにも色々いるよね。

川上未映子「彼女と彼女の記憶について」、主人公は過去の田舎の同級生たちを冷めた目で観察する芸能人という、私と世代が近いという以外は何ら感情移入する余地のない立場の女性の一人称なんだけど、不思議と読みやすい。観察する視点に偏りがないからかなあ。
そして予定調和の空気を一瞬で変えちゃう2文字の威力。気持ち良いくらい一気に非日常が侵食してきた。これ好き。

マシュー・シャープの超短編。歩き続けるうちに月に着いたとか、ゾンビが殺人者と同衾とか、日常の延長線上の非日常っぷりが、うーん、そこはかとなく変で好きかも。長編を読んでみたくなった。

スティーヴン・ミルハウザー「息子たちと母たち」、これは読む人によってリアリティも怖さのレベルも異なるんだろうなー。子どもの立場か親の立場かでも大きく違うんだろう。そういう違う世界が垣間見える。
過去と罪悪感にもったりと囚われる読み心地、嫌いじゃない。どうにでもとれる、同時に何種類もの意味を内包する深読みしがいのある台詞も。

小野正嗣「ウミガメの夜」、相変わらず視点がぐるぐる揺らぐ独特の文章で、この世界に入り込むまでは苦戦するけど、3人のおバカ大学生の旅がバカなくせに妙に切実で心掴まれる。

今回の特集はカラーがはっきりしてる感じ。
・なんとなく怖い
・うっかり日常を逸脱する
・人生も死も冗談めいている

柴田さんからの質問にいろんな人が答えるもう1つの特集は、ブラッドベリの『華氏451度』にちなんだ「もしあなたが、1人ひとりが1冊の書物を記憶する抵抗運動に加わるとしたら、何という書物を選びますか。またその理由はなぜですか」

選ばれた本よりも、この質問に対してどういうスタンスで臨むか、記憶それ自体が実現可能かどうか、記憶するのは誰のためか、過去のためか未来のためか、重点を置くのは失われる本か反抗運動なのか、回答者の個性が浮き彫りになって面白かった。

連載も相変わらず面白い。川上弘美の連載は単行本になるのが待ち遠しいなー。古川日出男の宮沢賢治リミックスはラストにもってくるテンションの上げ方がすごかった。
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2013年11月16日

MONKEY vol.1

初めて読んだ柴田元幸訳は、バリー・ユアグローだったと思う。
その次に、図書館で見かけたエッセイを読んで、なんか気になる……と思ってた時に、柴田元幸責任編集の雑誌が創刊したんだった。
文芸誌を読む習慣はなかったけど、なんでかこの雑誌だけは購読しようと決めて、2008年から2011年まで読んでいました、『モンキービジネス』。

記念すべき1号はテーマが野球で、文芸誌がいきなり野球特集?って思いましたが、中でも小川洋子と柴田元幸の対談には、こんなレベルの高い知的な会話って、しかも阿呆にもよく分かる平易な言葉遣いでですよ、あり得るんだ、と打ちのめされる勢いでした。

この雑誌で初めて知った、ここから興味を持って読んだ本がけっこうあって、中にはかなり影響受けたような本もあって、この雑誌のおかげでたくさんの出会いがありました。

そして、休刊から2年。
『MONKEY』新装刊ですよ!
特集は「青春のポール・オースター」、それにモンキービジネスでも楽しみにしていた古川日出男や川上弘美、岸本佐知子の連載も。

ポール・オースターは20代の頃の断片。それぞれ完成されたものじゃないんですが、ひとつひとつ読んでいくと共通点が、同じ素材が料理されていることが分かってきて、長編を読むのとも短編を読むのとも違う、まるで音楽で1つの曲のリミックスを聞くのに似たような、他にあまりない読書体験でした。
対談も読み応えがあるし、企画のオースター少辞典とかも手間と愛情がかけられてることが分かります。

川上弘美の連載はモンキービジネスから続いている変なご近所の人の話で、相変わらずで嬉しくなる。
古川日出男は宮澤賢治リミックス「なめとこ山の熊」。最後にこのテンションの高まりを持ってくるのがすごい。

これからまたこの雑誌が読めることを心から嬉しく思います。


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2013年10月25日

幻想小説神髄

『幻想小説神髄』読んだ。
ちくま文庫の世界幻想文学大全の3冊め。かなり読み応えがあったので、1日に1編とか2編ずつ味わいつつ読めたと思う。
以下はツイッターに書いた1言ずつ感想にちょっと書き足したものです。

ジャン・パウル「天堂より神の不在を告げる死せるキリストの言葉」
夢に見た終末の幻視がかっこよすぎる。「神はいない」という言葉に篭められた絶望、そこになにもないという恐怖。

ノヴァーリス「ザイスの学徒」
自然について知を深める喜びみたいな、具体的に何の話かはよく分からないんだけど…はちきれんばかりの好奇心とあこがれを胸に旅に出る、世界の描写は美しい。
「遠くから音楽が流れて来、すずやかな炎が水晶の杯から人々の唇に流れ入って燃えるあいだを、異郷の客たちはその遍き旅路のめずらしい思い出を語った。」

ルートヴィヒ・ティーク「金髪のエックベルト」
美しいお伽話が一転して悪夢に変わる。世界が一変してみると、わずかな幸福な時間の記憶すら蝕まれていることを思い知らされる。
厭な話だけど夢のように品がいい。

E・T・A・ホフマン「黄金宝壺」 石川道雄訳
子ども向けの童話で部分的に読んだことがある気がする、いい魔法使いと悪い魔女みたいな…でも実際は善も悪もなくって、貧しい現実と、理性じゃどうしようもない恋と、純真な目にのみ映る美しい世界と、愉快な喜劇があるだけだった。
羽箒と砂糖大根が恋したっていいやん!と変なところに噛み付く。
あとフロックコートのかくしに林檎を入れておいて後で齧るとか、火酒と檸檬と砂糖で檸檬酒を作って飲んで酔っ払うとか、なんかこのちょっと古い翻訳って食事の描写が瑞々しく夢みたいに美味しそうに感じる。

ヴィリエ・ド・リラダン「ヴェラ」 齋藤磯雄訳
ドイツロマン派をつまんできて、フランスに入ったら、うわあ耽美。しかしこれは癖になる。宵闇、あやしく光る宝石、ハンカチに染み込んだ血、灯明が照らし出すイコンのマリア像、彼女の不在。『残酷物語』は読んでみよう。

アンブローズ・ビアス「アウル・クリーク橋の一事件」
ラストシーンの光景に尽きるねこれは。

フィオナ・マクラウド「精」
ファンタジーの中に宗教・文化の対立があり、若者と老人の世代の対立があり、支配者と被支配者の対立があり…そして若者に殉死を強いる聖職者の狂気とか、ゆっくり進行する死を見守る時間とか、印象的な場面が多い。
何と言っても、月夜に海の海豹に説教する老聖者の場面!

アーサー・マッケン「白魔」
平井訳の方が好きかなあ。南條訳は平明で読みやすいんだけど、(怪奇の方じゃなく幻想の方に収録した意図もあるんだろうけど)やっぱし、無垢な少女の行動に真の罪が垣間見えるおぞましさが真骨頂と思うので、初読の時ほどのインパクトがなかった。

W・デ・ラ・メア「なぞ」
何度読んでも、なんて不条理で、なんて不思議なさみしい余韻を残す話なんだろうと思う。人が書いたお話とは思えない……マザーグースみたいな口承で磨かれた不条理な物語をさらに洗練した完成形って感じがする。

トーマス・マン「衣装戸棚」
またなんか不思議な話だなーしかし前半の主人公が旅に出る感じは凄く理想的というか、時代順にこれまで読んできてずっとお伽話と思っていたのが、そろそろ他人事でないというか読んでいて巻き込まれるというか。
この19世紀末というのは個人的に凄くもの狂おしい気持ちにさせられる。トーマス・マンはなんかもっと読みたいな、『ヴェニスに死す』とか。
今どこを走っているのか分からない汽車の旅も、名も知らぬ街をひとり歩く夜道も、衣装戸棚の女が語るしずかな物語も、すべては死の床で見た夢なのだ、とでも言わんばかりの気配がする。

ロード・ダンセイニ「バブルクンドの崩壊」
驚異の都、バブルクンド。その美しい描写と共に、滅びの預言を携えて旅する男の姿が強く印象に残った。物語を読んでいて、時折、人ひとりが背負うには重すぎるんじゃないかっていう人生がある。バブルクンドの最期を告げる役割もそうだ。

J・シュペルヴィエル「沖の小娘」
なんて可愛い話だろう。特に思い余った波が小娘を殺しに来るところなんかキュンキュンする。全体的にほんのり淋しい感じがして、小娘の淋しさをなんとかしてあげたい波ができるのが、小娘の息の根を止めることっていうのがね、こう……波ですから。
堀口大學の訳けっこう好きだな。

フランツ・カフカ「父の気がかり」
これも可愛い話だった。オドラデクなら今うちの引き出しの隅で眠ってるぜ。

ブルーノ・シュルツ「クレプシドラ・サナトリウム」
なんかカズオ・イシグロの『充たされざる者』読んだ時の感触を思い出した。思い通りに体が動かない、頭が朦朧とする夢から夢へと渡り歩くみたいな。こっちはサナトリウムの設定とかSFっぽくて好きだなあ。


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2012年12月18日

小川洋子の偏愛短篇箱、など

今月に入って少し読書欲が戻ってきたのはいいのですが、久世光彦に始まって、黒鳥忌に中井英夫を読んで、小川洋子の偏愛短篇集を読んで、山尾悠子の『ラピスラズリ』を読んで、津原泰水の猿渡くんを読んで、だんだん戻って来られなくなってきた。
夏にSFが読みたくなるように、寒くなると此方と彼方のあわいが曖昧な話が読みたくなってくる。

『小川洋子の偏愛短篇箱』は、前書きを読んだ後に1ページめくって最初の短篇のタイトルと作者名が目に入った瞬間に、これはただの名作だの傑作だのが並んだアンソロジーじゃないな、これは凄いところに連れて行かれるなというのが分かって、その予感は裏切られなかった。

世間にはほんと凄い短篇があるもんですね。
そしてこれらを選ぶ作家の眼というのも興味深い。
読者はあっさり打ち倒されてすげえやとか言ってりゃ済むけど、作家はこんなものと切り結んでいくのだからなあ。
とてつもねえや。

この中で好きなものと言われれば内田百閨A乱歩、宮本輝、川端康成。
横光利一はなんじゃこりゃ、死病を患った妻の看病という生々しくて重いはずの題材なのに、妙に乾いたユーモアは。私の偏愛箱にしまう。
好きというわけではないけれど、どうしようもなくあとを引くのは谷崎潤一郎と三浦哲郎。
田辺聖子はほんとワンアンドオンリーだなあ。

高校生くらいのいくらでも読める時期に私は偏食してしまったので、というのは受験勉強がいやでいやで本ばかり読んでいたら、同級生にやっぱり読まないと文学史とか頭に入ってこないよね偉いねとか言われて、そんな不純な動機の読書に見える本は読まない、私は面白そうと思った本を、好奇心以外の動機では読まないと誓ってしまったからで、今思うと高校生くらいで一度読んでおくべき本がすっかり抜けてるなあと思います。文学だから、なんとかだから、とかこだわらずにもっと色々と読んでおけばよかった。


 
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