2008年03月17日

思い出す

今日は面接。
遅刻しないようにちょっと早く家を出て、目的地近くの喫茶店で読書をしていて、ふと思い出した。
ハレー彗星のこと。

76年周期で地球に接近するというそれを見たのは1986年。
僕は小学生だったはずだ。

世間はそれの話題で沸いていて、お父さんは小さな望遠鏡を買った。

それを見に行ったのは、まだ寒い冬の夜の砂丘。
父と、父の友人である大学教授と、そのゼミ生と僕。

寒さで身を縮こませながら、望遠鏡を覗きこむ。

初めて見た彗星。そして、その冬の日の明け方僕は初めてコーヒーをブラックで飲んだ。
 
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2006年07月21日

数字の1

 近くの警察署の前を通りかかるたびに、建物の前の掲示板が目に入る。市内の昨日の事故数、事故死者数、負傷者数が表示されている。
 死者の数が0だと息をついてそのまま通り過ぎるのだが、数が1やそれ以外の数字を示していると、心臓のあたりがきゅうとしめつけられたような気持ちになる。

 学生の頃、統計学の基礎的な講義をとっていた。その教授の言葉で忘れられないものがある。
 教室中を見回して、嬉しそうに言うのだ。この大学では、平均するとこれくらいの人が色んな理由で亡くなっている。実感できないかもしれないが、この学内の誰か1人は今年必ず交通事故で死ぬのだ。そう数字は示しているのだと。
 妙に教授に気に入られた私は、なぜか教授によくお菓子をもらって喋る機会が多かったが、結局統計の授業で覚えているのはその時に思わず教室を見回した時の感覚だけだ。

 あの数字の1が、いつか数字でなく名前をもって、自分に降りかかってくるのではないかと思って。
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2006年05月19日

雨降り

 雨が降ろうが風が吹こうが出かけずにいるわけにはいかない。大王じゃないから。
 今日は雨が激しくて、傘をさして歩いているうちに、まるでゆるやかに水をかきわけて泳いでいるような感覚に陥る。
 魚のように口をぱくぱくさせてみる。

 時々、呼吸の仕方を忘れる夢を見る。

 目覚めた後は、いつか息ができなくなる時のことを想像して息苦しくなる。部屋にグリーンを置くのは、ささやかな心の安定を保つためだ。光合成光合成。
 よく考えてみれば杞憂に近い心配事が多い。
 車には、いつ洪水に襲われてもいいように浮き輪を置いていた。高架をくぐる時は崩落に巻き込まれないようにいつも小走りになる。電車に乗っていても横断歩道を渡っていても、心の休まる時がない。

 雨は強くなるばかり。四六時中、雨の降り続く惑星で遭難した男達の話を思い出す。ブラッドベリだったっけか。読んでいる間中、肌に絶えず水が降りかかる感覚があった。あれもきっとこんな雨だ。


 作成直後は珍妙な出来だった鶏レバーの煮物、2日経ったら何故か美味になった。
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2005年06月14日

聞きたいけれど聞けないこと

 長い時間歩いていると、ふと、自分はさっきの交差点で車にはねられてしまったのに、意識だけがいつまでも歩き続けているんじゃないか、と思うことがある。
 ひたすら歩いていると深く考えごとをしてしまい、僕が現実と乖離していくんだ。
 こうなってしまう原因のひとつは、僕の中に確かに車にはねられた記憶が眠っていることだろう。
 僕は普段はその時の記憶を失っている。無理に思い出そうとすると、ゆるやかに視界が、意識が薄れていくのを感じる。
 大けがを負ったその記憶を思い出さないのは、僕の優秀な安全装置によるものだろう。
(ついでに過去の記憶まで失ったのはやりすぎだと思うが)

 とはいえ、自分が生きているのか死んでいるのか分からないというのは、少し落ち着かないものなので、いつか誰かに聞いてみたいと思っていた。
 僕は今、生きているのか?
 
 常識的に考えれば、僕が現実に生きているならば相手は僕を哀れんでくれるだろう。もしくは蔑むのか、これはどちらでも大差ない。
 これが僕の夢ならば、僕の望む答えが返ってくるだろう。もしかしたら悪夢かもしれないが。
 僕の望む答えは?
 そうだな、もし僕が死んでいるのなら、ほんの少しそれを残念と思うのかもしれないな。それか、死んだのにいつまで歩けばいいんだと悪態をつくかもしれない。
 僕が生きていて、ほんの少し頭のネジがゆるんでいるだけ、その可能性は大きいから、そうしたら僕は、僕が質問をなげかけた相手が僕を見る視線に耐えなければならなくて、そんな問題は僕が生きているか死んでいるかに比べたらどうでもいいことなんだけど、僕の生死だって相当どうでもいい話なので、僕は迷わざるをえない。

 こんなことをぐだぐだ考える理由は、さっきから僕は迷っているんだ。
 僕は車を運転している。けれどさっきから僕は自分が生きてるのか死んでるのか分からなくなってきている。
 いつから僕は信号を見てない?
 聞いていた筈のiPODはいつから止まっている?
 それに、隣りにいるはずの彼はいつから喋ってない……?

 僕は言葉を口にするかしまいか迷っている。
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2005年06月04日

月夜の泥棒

 僕んちの近所の蕎麦屋に5年前入った泥棒が捕まったのだ、と聞いた。
 思い返せば5年前にも僕はそこで蕎麦を食べていて、蕎麦屋の親父から泥棒の話を聞いていたのだった。
 泥棒は店の硝子窓を割って侵入し、誰かに見つかった時のために厨房の包丁を手にし、小さなレジを盗んで逃げた。
 レジは、蕎麦屋からそう遠くない空き地に空っぽになって転がっていたという。

 そう話す親父がどうも憎めない様子だったのは、レジにはほんの小銭しか入っていなかったことと、レジに入っていた親父の免許証が、申し訳なさそうに店の近所の軒先にそっと置いてあったということだろう。

 捕まった泥棒は、70を過ぎたおじいちゃんだったと聞いた。

 僕は泥棒のことを想像する。
 多分その泥棒は、蕎麦屋に下見に来ただろう。もしかしたら僕の隣で蕎麦をすすったかもしれない。
 そして月のない夜に・・・・・・プロは月のあるなしなんて気にかけないだろうか・・・・・・窓をできるだけ静かにぶち割って、もしもの時のために包丁を手に取る。
 僕はここで、感謝しなければならない。泥棒が蕎麦屋の親父にその包丁をふるう羽目にならなくて済んだことを。そんな場面はぞっとしないし、泥棒にとってもそうだろう。
 そして、レジの電源コードを引き抜いたらおさらばだ。

 泥棒のおじいちゃんがレジを抱えて走る夜。
 その姿は月に照らされていたかもしれない。
 僕は目を閉じて、その時泥棒が何を考えていたのかトレースしようとこころみてみる。
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