2004年12月27日

私信

 自分が大した人間でないことは、さすがにこの年になれば分かるし、人にそう思われても堪えない。
 けれど、できることなら、見栄をはってでもいいところを見せたい、その人の前では、理想的な自分でありたいと思う人が、3人いる。
 その中の一人に、伝えたいと思ったことをここに書いておく。

 同じところを見ていたあなただから、私はあなたにだけはいいところを見せたかった。それなりに頑張り、そして挫折を繰り返して自分に失望し続けているけれど。
 もうあなたの前で見栄をはる必要はないんだろう。私はこの通りダメ人間です。

 自分がダメ人間だということが分かり、私の業績を後世の人が評価するなんてこともなかったら、私は、私に甘い数人の評価を除いてどうやって自分を肯定すればいいんだろう。
 私たちのやろうとしたことは、勝ち負けがはっきりとつく。1か0かで、中間がない。
 じゃあ、私もあなたも負けっぱなしなのか。
 きっと、そうなんだろう。

 けれど、そこで後ろを向かずに前を見ようという気持ちがあるなら、私はそれを評価する。
 自分に最終的に評価をくだすのは自分自身だから、どうせなら最後の瞬間まで自分であることを誇りたいよね。
 私はあなたの選択を喜ぼう。
posted by すずる at 03:30| Comment(1) | TrackBack(0) | 戯言

2004年12月16日

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 橋の上を歩いている途中、虹を見た。
 キリスト教では虹は神との契約の証。まだ人間は見捨てられていない。
 クリスマスを祝い、初詣をし、死んだら寺の世話になる日本人の宗教観を節操がないと揶揄する文章をたまに見るけれど、日本は元々多神教の文化なのだから、その指摘は間違っているよね。むしろ飛鳥の仏教伝来以来、外来の神を受け入れる懐の深い文化だと言えると思う。
 現在私はどの宗教にもコミットしてないし、する予定もないけれど、自分が一神教的考えと多神教的考えの両方を知る環境に生まれ育ったのは結果的にはよかったと思っている。どちらも理解できるから。

 さて、虹を見た後、日が暮れてからもう一度おなじ橋を渡り、夜空と川を眺めている時、飛行機が目に入った。その瞬間、この町を好きになれそうだと感じた。

 風邪のため、双子座流星群を見逃した・・・・・・。
posted by すずる at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2004年10月16日

電車に乗りながら考えること

 一日電車に乗っていた。
 どこかからどこかへ移動する途中、本が手放せない。
 今日は伊坂幸太郎の『グラスホッパー』を持っていた。どちらかというと好きな作家だけど殺し屋達の物語は僕の心を浮き立たせることはなかった。
 今日、でなければ、印象は違っただろう。
 
 電車の乗り換えでホームの階段をのぼる時、2段飛ばしでかけのぼっていく少年に追い抜かされた。
 一歩一歩踏みしめて歩く僕は、もうあんな風に走ることはできない。
 そんな考えが浮かび、すぐに自分で否定する。僕だって、まだ走れるはずなんだ。それが今でなければ。今、ゆるやかな熱におかされてなければ。

 『グラスホッパー』を読み終えたので、駅の本屋で2冊目を物色する。
 どうして本が手放せないのか。電車の振動に揺られていると、自分自身の思考に押しつぶされそうになるからだ。
 たとえば、何もすることがなくって向かいに座っている人をぼんやり眺めている時、そう好きでもない旋律が耳から離れなくなることがある。
 今日の場合それは「ある愛の詩」で、昔家にあったオルゴールの音色が流れ始めるとそれが鳴り止むことはなく……僕はその物悲しい音色が大嫌いだったんだ……そういう時、本でも読んでなきゃやっていられなくなる。

 何を買おうか。なかなか僕のアンテナにひっかかる本がない。
 きっと僕は何も読みたくないんだろう。けれど僕には時間がない。次の電車がきっとすぐにやってくるから。クリスティの短編集はどうだろうか。あれならきっと僕を疲れさせないし退屈させない。……だめだ、小さな駅の本屋には短編集がない。
 迷ったすえに、小川洋子の『寡黙な死骸 みだらな弔い』、柄刀一の『火の神の熱い夏』を買う。
 電車の座席に落ち着いて、早速小川洋子を読み始める。
 この選択は正解だった。奇妙にリンクする短編、かすかに香る死の匂い、冷たい手触り。移動し続ける僕の気分にぴったりだ。

 僕の気分……そう、今の僕の気分を言い表すと、捨てられた犬に近いと思う。
 捨てられて右も左も分からない子犬ではない。老犬。捨てられた事情も捨てた主人の考えもすべて知って(いるつもりで)達観してみせつつも、どこかで自分に与えられた孤独に慣れずにいる老犬。それが僕だ。

 今、電車はどちらの方向を向いて走っているのだろう。本から目を離して、ふと自分が今どこにいるのかわからなくなる。僕は間違えた電車に乗らなかったか? 今向かっているのは右か左か、西か東か。……まあどちらでも大差ない。僕は止まっていない。移動している。

 無事に降りようと思っていた駅で降りる。

 僕は繁華街を歩いている。人込みの中でかすかに息が荒くなる。僕は熱におかされている。
 目に入るすべてのものに噛み付きたくなる。あの信号が青になるのが早すぎる。まばゆいお店の照明から目をそらす。ふと看板の文句が目に飛び込んでくる。「名古屋の都心・車道に堂々誕生」。車道という町は都心だったんだろうか。僕はそこのライヴハウスに何度か行ったことがある。好きなバンドが出ていて、そのバンドがもっと大きなライヴハウスに移るまで、通ったのだ。けれど思い出せない。そのライヴハウスの名前を。

 僕はそれなりに悲壮な顔をして歩いているつもりだった。
 けれど、ショウウィンドウに映った僕の姿は、口を半開きにし、目にくまをつくった見苦しいものだった。
 醜いと見苦しいはちょっと違うと思う。
 ただ醜いというのではなく、人の目を気にした見苦しいという言葉には僕の小心さがよく表れている。

 僕はまだ歩いている。
posted by すずる at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2004年10月13日

スイッチ

 元々、私には躁鬱的なところがある。
 そう激しい変化ではないのだけれど、すべてがポジティブな瞬間からすべてがネガティブな瞬間へスイッチがかわるのがはっきりと分かる。

 私は神を信じない。
 けれど、神の不在を感じる瞬間はこれからくるのだ。
 神の不在と、そして神がいないにも関わらず、神を必要とする瞬間が。
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2004年10月04日

職人

働いた。
手持ちの札はワンペア。ブタではないが勝負をかけるにはお話にならない。ブラフにつぐブラフの綱渡り人生。

イチローってほんとにスゴイ。

最近、縁もゆかりもない人の日記を読んでいる。
職人気質の人で、自分のやるべきことを心得ている。こんな考え方するんだなあというのが読んでいて面白い。

新聞の人生相談に、仕事がつまらない、続かない、自分のやるべきことが見つからないという相談が載った。
回答は「仕事がつまらないと言いながらあなたはそのつまらない仕事すらつとまらないのだ。とにかくやれることをやってから自分の道を探せ」というさっぱりしたもの。
半分同意。
何かをするべきだ。けれど、もやもや考えるのも必要だ。
posted by すずる at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言